「一年越しの再会」思い出の健脚ハイカーが語る三月の山行記録。
あれは昨年4月に蛭ヶ岳までピストンハイクをした日のことである。
丹沢山登山口まで続く塩水林道先のワサビ沢で一人のハイカーと出会った。
上級の出で立ちの彼は意外にもフレンドリーで快く挨拶を交わしてくれたことをよく覚えている。
私は直ぐに道を譲り、前方を歩いていた彼の背中は何時しか小さな点となり、やがて消えていった。
随分と山行馴れをした人だなと思いながら、私は当初予定の丹沢山ピークを目指したのだった。
その日は同行してくれた「のっぽ氏」と丹沢山を終点としたピストンハイクを考えていたのだが、
丹沢山登頂後も少し余裕があった私は単独でその先の蛭ヶ岳へ足を延ばすことにした。
初めて訪れた早戸川乗越、
コルから先の天空の笹原の絨毯を歩くような浮遊感にも似た感覚を今でも忘れてはいない。
「鬼ヶ岩まで行った時点で体力温存が出来ていなければ撤退しよう」
そう思っていた自分の足はやがて蛭ヶ岳へと続く最後の鞍部を超えた辺りまで来ていた。
そこで既にピークハントを終えた彼と再びの「遭遇」をしたのである。
確か30分近くは世間話をしたと思う、だけど最後までお互いの名を明かすことは無く・・・
またいつか丹沢のどこかで再会しよう、そんな事を言いながら別れたのだった。
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そして先日、
一年振りとなる「彼」から当ブログ宛てにサプライズコメントが入ったのである。
私は懐かしさとともにあの日の出来事を自然と思い返していた。
偶然という名前も知らない再会 カタチこそ違うが、その約束は一年越しで叶ったのである。
その後、彼とは幾度かメールを交わしているのだが、
その中には非常に興味深い内容で綴られた
記録的豪雪のあった今年3月の丹沢山行記録が画像とともに記されており、
それは初めて出会った時のあの健脚ぶりを窺わせる、
まさにエキスパートクラスハイカーの体験談であった。
ここで、彼が私に教えてくれた内容を送付された写真とともにお伝えすることにする。
豪雪の日の山行エピソードをお聞かせしましょう。
あの日は前々日に大雪が降り、その翌日まで小雪が続いて結構な積雪量になったんですよね。
私は3月中には雪中の丹沢主稜縦走をしたいと思っていたから、
これは待ちに待ったチャンスと思って早速、蛭ヶ岳山荘に電話をしてみました。
すると、蛭ヶ岳山頂付近は風が強いからさほど雪は積もってはいないと。
だけど、途中の稜線は1M は積もっているとも言ってました。
それに あるレスキュー隊員の単独宿泊があって、私が連絡を入れたその日に蛭ヶ岳山荘を出て
丹沢山までの間を5時間かけて歩いたと言ってたんです。
かなり難儀するかとは思ったけど、とりあえず山荘に宿泊予約を入れたんですね。
当初の予定としては大倉尾根から塔ノ岳に上がり、丹沢山を経て蛭ヶ岳山荘で1泊。
翌日は檜洞丸経由で西丹沢へ降りるというものでした。
当日の朝、まだ暗いうちに大倉から登り始めたのですが、
それが雪なんてさほど積もっていないんですよ。
で、塔ノ岳山頂近くでようやく雪が30cm位に積もっていたけど、結局ノーアイゼンで登ってしまった。
ひょっとして肩透かしを食らったのかもと思って、情報収集の為に尊仏山荘に寄ってみたんです。
山荘の主人に蛭ヶ岳まで行きたいと話したところ、前日にレスキューの人が山荘へ寄り、
蛭ヶ岳から丹沢山まで6時間かかり、吹き溜まりでは胸までの深さの猛烈ラッセルに疲れ果てて、
尊仏山荘で更に1泊して帰ったと言うのですよ。
蛭ヶ岳山荘で聞いたレスキューの人と同一人物だとすぐに分かりましたが、
丹沢山到着に5時間ではなくて、実際には6時間かかっていたようです。
rikuさん、覚えてます?
ご自身が蛭ヶ岳から丹沢山までどれくらいで戻ったかを・・・
で、山荘の主人にワカンを持ってるのかと聞かれ、持っていないと答えたところ、多分行けないよと。
前日には塔ノ岳側から蛭へ向かった3人組がいたらしく、
ワカンを使ったにも関わらずあえなく撤退したのだと言います。
だから、通過できたのはレスキュー隊員ただ一人だけみたいですね。
まあ、行ける所まで行って気が済んだら戻れば~って、あっさり言われてしまいました。
確かにそこまで雪が深いのでは蛭ヶ岳までは到達出来ないだろうと考えましたが、
だからと言って行かずに諦めがつく訳でもなく、とりあえず向かう事にしたんですね。
丹沢では雪が降っても通常は6本爪程度の軽アイゼンで十分なんですが、
念の為に持ってきた12本爪を最初から装着しましたよ。
それにピッケル持参です、普通は要りませんが。(笑)
それで塔ノ岳を出ると積雪量はいきなり膝下にまで増えましたが、
丹沢山までは取分け苦労することなく通過、そして丹沢山から先はどんどん積雪が増えて行きます。
確かに途中までワカンで歩いた形跡があったけど、
長い急勾配に差し掛かった所でその跡は消えてました。
さて、これ以上行ったら戻るのが大変、それでもさして迷わず足が歩きだしてしまった。
一応ですね、前日にレスキューの人が歩いたトレースが付いてる訳です。
その踏み跡をたどればそんなに大汗かかなくても歩けるんですよね。
そして鬼ヶ岩の急勾配、鎖なんて雪に埋もれてどこにも見当たりません!
積雪で通常より斜度がキツくなっていたようですし、ここの登り降りではピッケルを使いました。
やがて・・・ 写真とかを撮りながらゆっくり歩いたせいもありましたが、
結局4時間かかって蛭ヶ岳に着くことが出来ました。
山荘の主人に翌日は檜洞丸に向いたいと話したら、何人かのベテランチャレンジャーがいたけど、
あまりの雪深さでみんな断念してるからやめた方がいいと言われてしまった。
偵察に檜洞丸方面の登山道を見に行くと、どえらい急傾斜でまったくの新雪状態。
行ったら絶対に死ぬと感じてさすがに止めましたよ。
で、翌日に同じルートで戻ることにしたんですね。
そして翌朝、外を見てビックリです。
夜中に雪が降ったらしく、一面また新雪に覆われているんですよね。
これは帰りは「胸ラッセル」になるのかなって、げっそりしましたね。
でもまあ、一部区間を除いてほとんど前日のトレース跡がうっすら見えてたので何とかなりました。
時々、完全にトレースが消えている箇所があったのですが、
その区間は完全に自分自身で腰ラッセルを強いられたので猛烈に時間が掛りました。
その大変なラッセルをレスキューの人はずっと独りで歩き切った訳ですから・・・
その体力と気力はそれ相当に強靭と言えるでしょう。
すっ 凄! (驚)
とまあ、こんな感じの雪中登山体験を私に語ってくれたのだが、
これは山行経験の豊富な彼だからこそなせる技、
安易な考えで実行する雪山登頂は当然の如く命の危険を伴うことを絶対に忘れずに。
その彼なのだが、どうやら相方さんのブログで山行レポートをしているらしい。
みにゃんさん、これからも宜しく!
【 尚、この記事に記された詳しい山行レポートは眠り猫さんのブログ「眠り猫の日記」にてご覧頂けます 】
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